子どもの頃の経験には大きな価値がある【本人が忘れていても・覚えていなくても】
私たちは、子どもの頃に、親に連れて行ってもらった場所の記憶をほとんど覚えていません。しかし、その時の経験や体験、感情はあなたの成長に大きく影響しており、今のあなたを形作っています。子どもに何かしてあげる時にも、ムダか、ムダじゃないかで経験を選別せず、いろんな体験をさせてあげてほしいと思います。
子どもの頃の体験に価値がある理由
多くの人は、子どもの頃の記憶がありません。
- 親と動物園に行って大泣きした
- おばあちゃん家で牛乳飲みすぎて吐いた
- 幼稚園で友達と水遊びして風邪引いた
- 幼稚園の屋根からおしっこした
- 注意されたのに薄着で外出てめちゃくちゃ寒かった
など、ほぼ覚えていないですが、幼い頃の親から聞いた行動と結果、そして、私自身の記憶は必ずしも一致しません。
しかし、幼い頃の記憶はその年齢における短期的な意思決定には影響していて、欠かせない成長の要因になっています。
結論
子どもがどうせ忘れるし、覚えていないだろうからといって、子どもに経験や体験させないのは、マイナスに働きます。金銭的にも、時間的にも無理のない範囲で、自然に、いろんな体験をさせてあげることは、子どもにとって良いことです。
きっと親である、あなたにできる範囲でよいので、ちょっとしたことでも、いろんな経験をさせてあげて下さい。
事例1:動物園でモルモットとふれあい→大泣き
幼い子どもにとって、外の世界は危険がいっぱいです。赤ちゃんのうちは親・家族以外の生き物に触れ合うこともほとんどなく、1歳、2歳になります。
そんな中で、動物園のふれあいコーナーなんていきなり行って、子どもの身長的にはかなり巨大なモルモットを見ればびっくりするのも頷けます。
大人からするとモルモットは自分の足のサイズくらいの大きさでかわいいものですが、赤ちゃんからすると、自分の片足くらいの大きさの巨大な生き物です。ましてや、親よりもでかいゾウ、キリンなんかを見れば、そりゃあ生物的な本能から恐怖を感じるものです。一瞬、喰われる><と思うくらいに怖いはずです。
でも、親は笑っていて、自分は無事に帰宅できて、平穏にいつものベッドで眠れたとしたら、赤ちゃん・1才児的には何を感じるか…。
- パパとママ強い…。
- 外の世界にはやべぇのがいる。
- お家は安全。
- おふとんあったかい。
- あの場所変なにおいした。
といったところでしょうか。実際にはその子によって、その瞬間に感じた「学び」の程度はわかりませんが、必ず何かを学んでいます。
これにより、
- 知らないもふもふした動物には触れない
- 獣臭い場所は危ないかも
- パパとママがいれば大丈夫
といったことを学んだことになります。もう少しこの子がおとなになって、公園で大きなわんこに出会った時に、何も知らずにそのわんこや野良にゃんこに近づいて、手を出してしまい、怪我をする…というリスクを避けられるかもしれません。
逆に、生き物との付き合い方を学べていれば、わんこ、にゃんこと正しく触れ合えるかもしれません。どちらの結果になったとしても、子どもに残った強烈な記憶は、大人には分からない瞬間に開花して、大人を驚かせます。
事例2:飲みすぎて吐いた
親のミス…という場合ももちろんありますが、赤ちゃんが飲みたがるからといってミルクを与え過ぎると、吐いちゃいます。実は、吐くって行動は危ない(窒息)場合もあるのですが、飲みすぎると&食べ過ぎると吐くというのは、赤ちゃんでも、大人でも気分が悪いものです。
このため、だんだんと自分の限界を学ぶようになります。
- これ以上は食べられない
- これ以上は飲めない
- もういらない
など、自分の身体の限界を学んで、行動を抑えるようになります。これにより、自分にはちょうどいい適量と限界があることを学べます。
※大人になりたての成人が、嫌なことがあった日の中年がお酒飲みすぎて吐くこともあるので、なんとも言えない。
少なくとも、嫌な経験をした、というのは、その人、その子の成長に、何かしら関係します。いつになっても学ばずにお酒で吐いてる大人もいますがね。
事例3:ディズニーランドに行って超疲れた
自分の名前も言えない頃にディズニーランドに行って「めちゃくちゃ疲れた…」という記憶が私にはありますが、なぜか、ディズニーランドに行ったという記憶そのものはないんです。でも、たしかにあの場所に行って疲れて帰ってきた記憶だけはあります。
これは、今の私にとって「人混み嫌い」の概念を作りました。
「人の多い場所は疲れるので、できるだけ避ける。」という意思決定の礎に、あの時の幼い頃の記憶がきっかけになっています。大人になってからもディズニーランドには2度ほど行きましたし、超楽しかったですが、やっぱり人混みは苦手です。イオンモールでもきついです。
この時の学びは、私の選択的行動に大きく影響していて
- 満員電車は乗らない&1本見送る
- 人混みは避けて余裕がある方を選ぶ
- 都会より田舎がいい
- 大人数の職場より少人数(なんなら1人)がいい
- 安心できる人と一緒なら大丈夫
などの、大人になった私の行動に影響を与えています。行った場所の記憶はないのに、あの時感じた「疲れ」は覚えていて、個人的にとても不思議な学びですが、確かに役に立っています。大人になった今は対策もできるようになりました。
事例4:美しい花畑&景色の記憶
その昔、大雪山だか、なんだかのアレで、ラベンダー畑と青い空、実った稲の絨毯を見た記憶が幼い頃にありますが、あの時感じた
- 安心感
- 安定感
- 落ち着き
- 温かさ
などの感情は、その時一瞬見た色合いのそれと関係して記憶に定着していて、
- 色ってきれい
- こんな落ち着く場所もある
- おもしろみも刺激もない
- 恐怖もない
というような学びを得ている気がします。大雪山と言うのは北海道にある山です。富良野にはラベンダー畑があります。私の故郷でもある。あの時の幼い記憶は、どこかの道の駅か、温泉かの休憩所の温かさも覚えています。
周りの人の温かさ、温度、雰囲気、笑顔の数、安定感と落ち着きなど、こういう要素が合わさる場所はきっと大丈夫な場所だ、という今の感情と紐づいています。
このことから今の私が得ている学びは、赤ちゃんがいれば
- 微笑みかけて
- なんでも許してやれ
- 温かくしてやれ
- 落ち着かせてやれ
ということです。どの場所だったかなんて、私も親も覚えてないですが、あの時の記憶は「確かに温かかった」んです。その時の印象は今でも、落ち着く場所の選別に役立っています。これは無意識下での価値観の構築とも言えるかもしれません。
幼い頃の経験は全て無駄にならない
以上、これ以外にもありますが幼い頃の経験、あいまいな記憶は、その子の成長に必ず何かしらの影響を与えていて、たとえ、子どもが覚えていなくとも、その子の成長に大きな影響を与えています。
そして、親には一生忘れられない思い出を残しています。
どうせ忘れられてしまうなら、お金が無駄になる経験をさせない方がいい
なんてことは考えずに、いろんな体験を、子どもにさせてあげて下さい。
お金がないならば、公園に毎日行くだけでもいいんです。
- 砂で遊ぶ
- 公園の花を見る
- 育児支援施設に行く
- 温かい日にあたって昼寝する
など、親である「あなた」がとった行動は、なにひとつ無駄ではないです。