映画「ウィッシュ」を見た感想・レビュー【ネタバレ含む】

2024年11月1日

結論、映画「ウィッシュ」は現代の支配に素直に従い子飼いにされる社会への風刺と、それに抵抗して自分たちの環境を変えていくことの大切さを訴えた作品で、演出や描写も美しく、これからの時代を担う人々の心のどこかで希望になりたいというディズニーの「希望」が感じられる作品だったと思います。

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ディズニー映画「ウィッシュ」のレビューがズレている気がする

作品に対する感想やレビュー、評価をする時、多くの素人はなぜか厳しく点数をつけたがり、欠点ばかりを探す傾向が強いです。特に日本人は欠点ばかりを見る事が多く、それでいて自分が点数をつけられたり、評価されたりするのはとても嫌がる性質があります。

ディズニー100周年の映画として公開された「ウィッシュ」がようやくディズニープラスで見れるようになったので視聴したのですが、ネットにあふれているほどの酷評は感じられませんでした。よくあるディズニー映画そのもので、アクションやSF映画が好きな人からすれば「慣れていない分野」過ぎて理解が及ばないかもしれないです。

批判的な意見のまとめ

マイナスの意見をレビューサイトからピックアップするとだいたい以下のようなものになります。

  • 多くが中途半端
  • 説得力が足りない
  • キャラの髪型が気になる
  • 世界観が理解できない
  • 共感できない
  • 声優が納得できない
  • 印象に残らない
  • 主人公と悪役の関係がパッとしない

これらの感想は、見る人の想像力、思考力が完全に足りておらず、理解しようという感覚が乏しいものとなっています。映画やアニメなどの作品は、自分が分かろうとしなくても分かるようにしてくれているはずだ、というような薄っぺらで他人任せで相手に対して失礼な消極的姿勢な人がよく使う言葉が並べられていました。(よく他人を批判をする人ほど、自分が批判されると激昂する)

作品のソレが中途半端であると感じるならば、おそらくシャークネードのような映画やハリー・ポッターシリーズの急展開にも納得できていないはずで、MARVEL作品や海外ドラマなんかは見れたもんじゃないと思います。

ディズニー作品を全くもって見たことがないんじゃないか…という人のレビューが多く、ディズニー好きな人、ディズニー映画を知っている人のレビューは比較的好意的なものがほとんどでした。

ミュージカルとは

ディズニー作品を見たことがないままレビューしている方は「ミュージカル」というジャンルを知らない方々なのでしょう。

ミュージカル(英語: musical)は、音楽・歌・台詞およびダンスを結合させた演劇形式。ユーモア、ペーソス、愛、怒りといったさまざまな感情的要素と物語を組み合わせ、全体として言葉、音楽、動き、その他エンターテイメントの各種技術を統合したものである。

Wikipedia

Wikipedia出典でも十分なお話で、「音楽」と「歌」と「踊り」等を合わせた表現のことで、ディズニー映画はこの形式がほとんどです。シンデレラでも、ピーターパンでも、戦姫絶唱シンフォギアみたいにいきなり歌い出します。そういうもんなんです。

この形式は合う人と合わない人がいるので、合わないと感じたらしょうがないと思います。映画もアニメも嗜好品なので、合わないと思ったらしょうがないです。

肌の色やキャラクター性の批判はレビュアー失格

映画やアニメなどの作品において、作品に出てくるキャラクターの外見に文句を言ってしまう人物はレビュアーとしては失格です。二度とレビューを投稿してはならないタイプの人です。自分自身の先入観や価値観だけを絶対のものとしていて、外的刺激や外からの情報を受け付けられない人なので、映画を見るなど失礼すぎていけないレベルです。

映画館や映画作品に対して「自分の満足度を上げてくれること」を期待している事自体が、映画(嗜好品)との向かい方として間違っています。

喫茶店で例えれば、喫茶店に行くのは暇つぶしか待ち合わせ、苦いコーヒーで目を覚ますため、iPadでちょっと作業するため等が一般的な理由ですが、それらの目的が果たせなかったからといって、コーヒー豆の産地を批判したりはしないですよね。グアテマラ産・タンザニア産のコーヒー豆を使っているからダメなんだとはならないはずなのです。まして、カフェの内装やカップのブランドが気に入らないという理由で酷評を投げるのもお門違いも甚だしいものです。喫茶店など入ってみないと分からない(映画も同じで見てみないと分からない)もので、かつ、嗜好品なのに、自分の希望と、相手のコンセプトが違ったからといって文句をネットにつらつら書いちゃうってのは…、情けない…、きっととても感情表現が乏しい人なのでしょう。

本人のあいまいな期待と作品のコンセプトへの理解力の乏しさ

映画をよく見る人ならば当たり前のことですが、見てみるまで中身が分からないものです。映画はそういうものです。毎シーズン更新されるアニメ化された作品だって、小説や物語だってそうです。フタを開けてみないとわからない作品を、自分が思っていたのと違うからという理由で、無理やり相手のアイデンティティーになるような容姿や外観などを取り上げて批判するのは人として最低の発言であり、やってはいけない行為です。

キャラクターの肌の色、見た目での国籍発言等は、現代社会では絶対NGな要素であり、時代遅れで田舎者、さまざまな世界を知らない世間知らずなのに世間を知ったつもりになっている人の代名詞です。

私が「ウィッシュ」を見た時、キャラクターの肌の色や外見、特徴、体型、服装などは全く気にならなかったです。しかも、批判している人の言う「黒人」の認識は「褐色・黒」の区別がついていないようで色覚に異常があるか、海外旅行をしたことがないか…完全にズレた発言で、もはや差別発言レベルのヤバいものが目立ちました。

ストーリーの印象の強さについて

シンデレラやピーターパン、アラジンなどの定番のディズニー映画、ライオンキングやベイマックスなどのアニメーション映画などと比べてもインパクトはそこまで違いはないです。酷評されている方々は、作品内の歌やリズムを一度見るだけで覚えられる化け物暗記力が他の作品だけでは発揮されるようで、とても不思議な批評が並んでいました。

広告や戦略的な活動で音楽のイメージなどを社会に植え付けさせるようなことをされていれば作品のイメージが強く残り、そうでなければ記憶できないということで、意見としてあまり主体性がありません。

ディズニー映画「ウィッシュ」のおおまかな流れは以下のような感じでした。

  • 安穏とした疑いなき王国ができてそこに住んでた
  • 願いが叶えてもらえない悲しさと不信感
  • 支配者の不都合な真実を知り抗う若者たち
  • 願いを聞いた星の助け(希望)を得る
  • 必死に抵抗し勝ち取る

この流れはシンデレラでもアラジンでもだいたい一緒です。急に魔女が出てきてカボチャの馬車ができたり、魔法のランプをなでたらジニーが出てきたり、常識的に考えたら「なんでや、そんなことなるわけないやろ」が起こるのが映画です。MARVELでも同じです。ハリー・ポッターでも同じです。最初の時点では聞いてない展開や要素があとから出てきて主人公を助けるんです。映画って、だいたいそういうものでしょう?

的はずれなレビューも感想といえば感想ですが

見た人が感じたことはありのままそれがそういう感想で良いですが、勘違いしてダラダラとレビュー件数を伸ばしただけの人の言っている「こうあってほしい」とか「こうであるべきだ」という発言は感想とはまた別のものです。

小説や映画を何千件もレビューしている人が作品と向き合い、自分の中の気持ちを満たしたい場合は最初からそのレビュアーの「こうあってほしい」とか「こうあるべきだ」を満たす作品を見に行くのが当たり前です。何千件もレビューしていれば自然とそうなります。

しかし、承認欲求が満たされていないちょっと厄介なレビュアーなんかは構ってほしくて感覚がズレてしまうものです。「感想」と「わがまま」は違うものだと分からなくなっていきます。そして、批判したほうが書きやすい(まちがい探しはバカでも子どもでもできる)ので、どうしても批判ばかりのレビューになります。

あげく「こうしてほしかった」という大の大人の発言とは思えないわがままな意見でレビューを締めくくることになります。お前が作れって話なので、作る時に参加もしていない、出資もしていない人が言う「こうしてほしい」は完全に的外れでレビューですらないんです…けど、区別くらいはして今後のレビューで気をつけないとレビュアーとしての薄っぺらさばっかり成長していくことになります。

先入観で批判するのはダサすぎる

どんな有名な評論家でも、これまで数千、数万のレビューをしてきた人でも、自身の先入観を捨てることにはかなり苦労されているはずです。これはこういうものだ、という考えを持つことは作品を見る時と現実世界とでは扱いが異なります。

「野生のクマは人を襲うものだ」は事実ですが、ジャングル・ブックやプーさんではクマさんが仲間でフィクションならではの良さを多くの人が評価して認めています。映画なんだから良いじゃんって。これがディズニー映画の肌の色になるととたんに崩れ去るのは、自身の価値観をきちんと更新できていない証で、レビュアーや評論家としては失格です。

上品な言い回しでなんやかんや批判をまとめるのではなく「私は好きじゃなかった」の一言だけでいいものをかっこつけてなんとか批判して、自分の中の先入観や価値観を崩すまいとしてATフィールドを展開するのは、変化への脆弱さが露呈していて弱さの自己アピールになってます。「私には合わなかった」というものがあるのは、そういうものなのでしょうがないなで済む話ですが、こじつけて関係ない要素も合わせて批判しちゃうのは改めるべきでしょう。そんな感じに子どもを叱ったら一発でグレますよ。パワハラです。

ウィッシュは大コケしてるって本当か?数字で見る

実態として、外的要素も合わせて数字で見てみると

  • 公開1ヶ月で興行収入30億円(日本)
  • 公開1ヶ月で観客動員221万人(日本)
  • 公開3ヶ月で世界興行収入$251,448,987(約2億5100万ドル)
  • 制作費約2億ドル

これは前作と比べるとどうなのかというと

  • ストレンジ・ワールド|世界興行収入$73,621,640
  • ミラベルと魔法だらけの家|世界興行収入$256,786,742
  • ラーヤと龍の王国|世界興行収入$130,423,032
  • アナと雪の女王2|世界興行収入$1,450,026,933
  • アナと雪の女王|世界興行収入$1,274,219,009

という感じなので、アナと雪の女王シリーズがやばすぎるだけで、映画「ウィッシュ」がそこまでコケてるわけじゃないですよね。数字を見る限りではここ数年のディズニー映画としてはコケてるようには見えないですし、コケているとは言えない数字です。

コロナ禍や色々な苦労もあった時期に公開されたラーヤ、ミラベル、ストレンジ・ワールドが伸び悩んでいても次の作品が公開され、かつ、ディズニー100周年を静かに迎えて作品を淡々と公開し続けているのは、普通にすごくないですか?

ディズニーのコンセプト

ディズニーリゾートのコンセプトからの引用(リンク)になりますが、

  • 親と子供が一緒に楽しめる場所があるべきだ
  • 私たちが彼に意図していたこと、期待していたことは、彼が世界中の人々と一緒に笑い、人々を笑わせ続けてくれることだった
  • ディズニーランドは永遠に完成しない。この世界に想像力が残っている限り、成長し続ける。

これらのコンセプトからズレた映画が公開されたら、ここぞとばかりに批判すべきだと思います。大切に受け継いできたコンセプトを破壊する者が内部に生まれた証ですので、ヴィランというやつの仕業でしょう。

映画「ウィッシュ」は「あらゆる世代の人々が一緒になって楽しむことができる」ことからはズレていないと思いますし、初見で先入観なしに見ておもしろかったし、ヤギが山寺宏一で爆笑して「またお前か!」って小一時間エディーマーフィーがチラついてニコニコできたし、映像はきれいだったし、メッセージのようなものも感じられたし、ヴィランが死ななかったし(MARVELでは割と死にまくるけど)映画として批判する所はあまりなかったと思います。

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Posted by 管理人