映画「2分の1の魔法」を見た感想・レビュー【ディズニー・ピクサー】
映画「2分の1の魔法」を見た感想・レビューを一部ネタバレを含む形でまとめています。感動した所、感じ取れたメッセージ、自分にとって響いた所のほか、思ったことをそのまま書き出しています。基本的にディズニープラス、または、ユーネクスト(U-NEXT)で視聴できる作品です。参考までにどうぞ。ぜひ自分の目で作品を感じて下さい。
兄弟の心の成長と絆の深まりを感じる物語
全体的なストーリーの流れは以下の通りでした。
- 自信のない弟とおちゃらけプー太郎な兄とやさしい母
- 悲しい過去を抱える兄、亡くなっている父、父への思い出と愛情や思い入れ
- 魔法が使えることを知りとまどいながらも旅に出る兄弟
- 兄に振り回され、ときに衝突し、ともに成長する弟
- 常に振り回される父の下半身(道具扱いもされている)
- 負けず劣らずの母とマンティコア
- 神秘・発見・勇敢な戦いと勝利
- 報われる兄と増える弟の思い出
- 前向きな日々の解放された暮らしでハッピーエンド
かなり濃厚で、非常に多くの学びがあり、共感とツッコミどころ満載で、大人にこそみてあふれるほど涙を流してほしい作品でした。とても楽しかった。
少し敬遠していた理由:キャラが紫だった
ほとんどすべてのディズニーピクサーの映画を見たのに「2分の1の魔法」はキャラクターが紫色でなんか惹かれなかったというディズニー好きらしからぬ理由で見るのが遅れてしまい、非常に後悔しています。
見た目に惑わされ、触れようとしなかった自分が恥ずかしいし、見た目なんて気にしないと思っていた自分が、結局見た目で作品に触れるのを躊躇っていたことを理解させられ、物事への見方をしっかり改めるべきだと感じた作品でした。
兄の現実逃避と辛さ|母の理解と優しさ
この作品では、基本的に弟目線で話が進みますが、男子の兄弟、父と死別した母、母の今の彼氏が警官というちょっと特殊な家庭環境があり、この状況に共感できるかどうかで話が変わってきます。
親子の絆や関係は十分信頼できる関係でありながらも、母の新しい人生への理解も示しながら、兄弟は兄弟でそれぞれに抱えている心の辛さや「本物の父」への憧れ、絶対に会えない辛さなどと向き合った末の、物語序盤のアレコレがあります。
一番辛いのがおそらく「兄」です。父との思い出もあり、父との最期の挨拶ができなかった自分の弱さへの後悔もあり、弟がいることで感じるプレッシャー、母と母の彼氏(警官)の関係、弟につらい思いをさせたくない想いなどを考えると「兄」にかかっていたプレッシャーは…異常に重いものだったと考えられます。
父のいない母子家庭の「強い母」として母の孤独感や寂しさ、辛さもあちこちに現れており、兄弟のぷち家出があっても、すっと立ち向かっていけるメンタルがこれまでのつらい経験の数々を乗り越えたことを示しています。悩んでいる暇などない、すぐ行動する母の背中には「決意」と「忍耐」を感じました。
内面に不安を抱える弟|叶わない虚無感や元々ある喪失感のツラさ
物心ついた時には「父」がいなかった、というツラさ、周囲と比べて、自分には他に人に比べて根本的に何かが足りないんだ…と感じながら生きるのは非常に苦しいものがあります。母の愛、兄の存在があっても、他と比べて見れて判断できてしまう年齢になると「いるべき人がいない」という個人の力では解決できない喪失感や空虚感、虚無感はきっっついです。
父のいない弟を見事に再現していて、それでいて母の愛、兄の大胆でおおらかではっちゃけた感じの存在感は弟のアイデンティティの柱になっています。
物語の序盤の時点で、悲劇に耐えながらも前に向かっていこうとして、社会に流され、社会の一員として日々に流されて生きている様子が描かれており、非常に身近で他人事とはいえない環境を視聴者に押し付ける形になっています。
父からの贈り物
失われ、完全に諦めていた「父」からの贈り物が登場して、兄弟に転機が訪れます。社会の発展で忘れ去られた魔法と、魔法の杖、1日だけ父と再会できる魔法の呪文。
兄は再び父に会えるかもしれないという喜びを感じ魔術に挑戦するも失敗、魔法の力を受け継いでいたのは自信がない弟で、弟は父を下半身だけ復活させることに成功します。明らかに父ではあるのに、言葉が交わせないというもどかしさ、頭や心臓のない下半身に父性(父の息子はついてるはずだけど)は感じられず、父を全身復活させようと、長い1日が始まります。
その人のアイデンティティは心や魂にあるという認識に強く気付かされるシーンでもあります。
大冒険と兄弟の成長
ニートっぽい兄の魔法系の知識、弱気で自信がないけど魔法が使える弟、下半身だけの父という不思議な組み合わせでの長い旅が始まります。何か一つ欠けても成功しない超高難易度の旅となります。
ニートみたいな生活をしていた兄を正直疎ましく思っていた弟、兄に寂しさを埋めてもらったり、兄と過ごした日々が支えでもあり、恥ずかしさにもつながっており、父のいない自分の環境と周りの環境を比べて勝手に自信をなくしたりしていましたが、魔法の存在が明確になったことで兄のカードゲームの知識がそのまま魔法の知識に直結する状態になって、兄への信頼が少しずつ大きくなっていきます。
弟を悲しませたり、辛く思わせたくないがゆえに行動や空元気が出てくる兄は、兄は兄で誰にも言えない苦痛を心にしまい込んでおり、かなり強く歯と食いしばっていたと思われますが、弟とともに旅に出る素早い決断と行動力を見せます。
魔法が使えない自分=何者にもなれない自分という悲しみはこの兄は、向き合い、超えており、父の最期にちゃんと向き合えなかった時点で一度心が死んでいるのだと思います。それからの弟との日々、家族との時間が兄を強い男へと磨き上げつつ、どこかで後悔している心のつっかかりが長い1日の旅でなくなり解放されて自由になれたと思います。
遠回りの旅、命の危機を感じる旅、不信感、不安を感じながらの旅を超えて、灯台下暗し、家からも近い場所で兄弟喧嘩を起こしながらも、兄はなんとかしたい、どうにかしたいという思い、どうにもならないかもしれないという歯がゆく苦しい思いを抱えたまま行動し、見ていて本当にツラい…。
弟は諦めることの方が楽であることを知っているのか、最後の父の下半身との時間を過ごそうとしますが、やりたいことリスト、過去と向き合うことで目が覚めて兄の元へ急ぐことになります。
弟に目を覚ましてもらったマンティコアと強い母の登場
兄弟ともに、行動して必要なものを手に入れるも父を復活させる途中で最後の危機に直面。復活のための不死鳥の石を手に取ったことで、呪いが発動し、がれきでできたドラゴンと戦うことになります。
ここに飛ぶことを思い出したマンティコアと強き母が登場、父を失って悲しみを背負い、息子たちまで危険にさらされている状況で馬鹿力を発揮し、ドラゴンを食い止めるほどの力を発揮する。息子、愛する人を目の前で失うかもしれない苦しさをもう二度と感じたくないという強い意志を示して、魔法の力に完全に目覚めた弟に完璧なナイスアシストを繰り出して、ドラゴンを制圧。
兄弟と父の最初で最後の時間
自己犠牲をして、父との再会を諦めようとしていた兄は、弟と母の働きにより父と再会でき、短い会話もでき、兄が報われた瞬間が訪れました。
瓦礫の中から、兄と父の後ろ姿を眺める弟、遠くからその様子を見守る母と母の彼氏。弟もきっと父に直接触れたかったはずだが、兄の後悔の思い出一つ「父の最期を看取れなかった」話を受け止めて、弟は兄と父の再会を「男」として見守ることになります。
今までさんざん我慢してくれた兄、守ってくれた兄、そんな兄に幸せな報いがあるように願いながらも、父の背中を見れたこと、兄が満たされていることを見守った弟には、心境に大きな変化や決意が生まれたことでしょう。弟は父との思い出がほとんどなかったことも幸いしていると思います。
大切な時間は一瞬、後悔のないように決断し行動しなければならない
魔法の力を持ってしても最初で最後の復活の呪文、ほんの数十秒の再会で、生きる希望や人生の大きな変化が起きたことを描いていました。恐怖、おそれ、怯え、弱さ、ツラさ、苦痛などを理由に逃げることで、もう二度と手に入らない「何か」を持ってしまうことがある。
そして、その手に入ったかもしれない二度と手に入らない「何か」のために、人は命をかけ、必死になって追いかけ、プライドも何もかも捨てて進もうとすることになるという学び。
手に入っていないと思っていたものは、もしかしたら、もう既に手に入れているかもしれないぞ、というメッセージもありました。
楽しく、幸せな思い出は忘れやすく、辛く苦しい思い出は心に残りやすい。心にフタをせずに、きちんと向き直ることの大切さを魂に刻み込まれたような感覚でした。
男子2人・母子家庭を経験しているとかなり響くかも
男子2人兄弟の暮らしを知っているだけでも十分共感できそうですが、母子家庭で男子2人育てている人や、そういう家庭にある人と知り合い、友達である人にはかなり重くのしかかるものがあると思います。
小さな子どもにとっては気弱な弟が魔法を使って強くなるストーリーだと思いますが、兄目線、父目線、母目線、母の彼氏目線で考え始めるとかなり深く重く練り込まれているストーリーだと思います。
あの妖精暴走族はなんなんや…
社会に流されて生き、自分の力を信じないでただただ流されて生きる者への皮肉でしょう。ヤンキー妖精暴走族は、みんなで協力してバイクをぶいぶい言わせられる努力はしているのに、妖精として空を飛べることに関しては努力せず、科学的な便利に魂を持っていかれて抑圧され、世の中を回す一員として、社会の構成員として飼い犬のようにされてしまっていたと考えられます。
特別な力があるのに、それぞれの強みがあるのに、それに向き合わずにみんなで平均的に、均された社会でのらりくらり生きることに飼い慣らされてしまっている者たちへの皮肉として、妖精暴走族、母の彼氏のミノタウロスの存在が欠かせなかったと考えられます。
完全な異世界の物語に見えるようで、現代社会への皮肉や問題提起にもなっていると感じました。