個別指導塾を始めるに至った理由と現在の教室スタイル【Genussmittel】

当方、本業は定額制全教科指導の個別指導塾の運営と講師です。全国的に最近有名になった子ども食堂に一ヶ月定額制通い放題、学習時間無制限、全教科指導、小学生から高校生まで対応、教材費・入会金など無料というシステムを追加した形で運営しています。始まったのは子ども食堂が知られるよりもずっと前、今から9年前2009年です。最初は小さく、今も小さく、サポートできる人数は少ないですが、排出してきた学生たちは皆、なかなかの曲者ぞろいでございます。

 

 

スポンサーリンク

昔から年下との付き合いのほうが得意だった

小中高校で、だいたい年下に好かれることが多かったのは、私が長男として育ったのも関係しているかと思います。年下に対して、面倒だとか、嫌だとかいう感情がなく、接するのに特にストレスも感じないため、年下の学生に指導するという学習塾、指導系の仕事は生来向いているものだったのでしょう。

 

中学校でも、高校でも、生徒会や学級委員長、学園祭実行委員などを積極的に経験するタイプの学生でした。クラシックバレエを学んでいたこともあって、一人で大勢の前に出ることに慣れていたのもあり、先生という仕事をするのに適したスキルが自然と身についていたと思います。

 

 

大学時代に塾講師バイトが一番しっくりきた

大学生のときには、やんちゃだったり、中途半端だったりしつつも、アルバイトは色々経験しました。大学時代にも様々な人と出会って、色んな人と接し、決して他では得られない経験をさせてもらいました。このときにも多くの人から与えられ、貴重な機会を頂いて、かなり迷惑をかけるようなこともありました。

 

そんな中で最も私にがっちゃんこしたのが、大学時代にやっていた学習塾の塾講師のアルバイトでした。当初は栃木高校から航空宇宙工学科を目指し、気づいたら山梨大学の生命工学科に入ってました。実は高校で生物なんて申し訳程度にしかやってなかったのですが、生命系の大学に入れちゃったわけです。

 

当然、学ぶことも多く、航空宇宙工学科を目指したのも、人命救助を空からできるようにする研究をしたいということで、今で言うドローンを用いた救助、アンドロイドやロボットを用いた人命救助をしたいという思いがあったためで、大学時代は狂ったように勉強してました

 

そのため、最も脳みそがフレッシュなときに異常なくらいに学習し、勉強し、人に伝えていくという仕事は当時の私にとっては非常にがっちゃんこするものでした。バイトで入った教室でも生徒からも親からも評判は比較的よく、バイトのリーダーなどからも評価してもらってその道に進む足がかりになっていました。

 

 

勉強が好きだった

塾講師をする時点で、勉強が好きだったというのは非常に強みになりました。当然、大変でガッチガチな進学向けの勉強をしていたおかげで、進学希望の生徒を受け持つことの方が多かったです。子どもの頃から勉強がだいたいできる学生だったのと、説明が分かりやすくて上手、噛み砕いて伝えることに長けていたので、塾講師の仕事は続きました。

 

長男として育ったこともあり、世話をするという感覚で年下の面倒をみても、全く疲れませんでした。ストレスもほぼなく、一番力を発揮できるのが学習塾の講師だったのです。好きで得意で、リアルタイムでやっていた勉強を生かして、ストレスの少ない指導という仕事ができたのは今の教室運営を仕事にするきっかけの一つになりました。

 

 

先生に恵まれていた

育ってくる家庭で、私は非常に運が良かったと感じています。特に先生に恵まれたというのは、私の中で、今の生き方を決めるのにかなり影響しています。つぼみ幼稚園の時のまさこ先生やみなこ先生、小学校の時の田中先生、幼少期に学んでいた剣道のみちこ先生、中学3年生のときののぶお先生、栃木高校の殿岡先生、クラシックバレエの教室の藤田恭子先生などなど。

 

私の人格形成、価値観形成に大きく関わっている先生たちが皆、理解ある先生でときに厳しく、ときに横に立って一緒に乗り越えてくれました。ひっそりと道を示してくれたこともあり、クラシックバレエの先生に至っては一番の成長期のときにかなりお世話になったと感じています。

 

こうして受けた大人たちからの恩、受け継いだ思いや残った言葉は、私が独占して良いものではなく、伝えていかなければいけないものだと感じました。何よりそう育てられました。多くの人の善意に育てられ、期待や挑戦のチャンス、失敗から立ち直るチャンスを頂いたのです。こうした事もあって、人を育てる仕事が私にとってより身近なものになっていきました。

 

 

子どもの貧困に触れる機会が多かった

大学時代に、防災の勉強、統計の勉強、国が発表している白書も読み漁っていた事もあってか、自然と世界の情報や貧困の情報に触れることもありました。子どもの貧困、教育不足などの事情、お金が少なくて学習塾にたくさん通ってこれない学生もいたために、余計に教育レベルと収入に関係があることを直接触れて学びました。

 

そこで感じたのが「なんか申し訳ない」という気持ちで、自分はこんなにも学習環境にも、先生にも、チャンスにも恵まれてきたのに、目の前にいる子ども、学生は、親、学校の先生にあまり恵まれていないなんて状況があったりすると、私の過去からこみ上げてくる「使命感」に従って行動するようになっていきました。

 

あの時、あの先生は何をしてくれたかとか、どんなふうに指導していたか、どんな感じに寄り添ってくれたか、という経験を覚えていたので、そんな先生たちの真似をして、ちゃんと子どもたちに受け継いでいけているという喜びも感じられました。受け継いだものを、つなげられていると実感できた時、それは私にとって最高の瞬間でした。

 

 

今の教室のスタイル:定額制通い放題

そんな事もあって以下のような今の教室の形ができあがりました。

 

  • 1ヶ月定額制通い放題
  • 家庭環境により受講料減額(無料の場合も)
  • 教室で飲食物の提供(通塾生のみ)
  • 教室でパソコン操作の指導
  • 資格試験取得のための学習可能
  • 全教科指導可能
  • 高校&大学受験対応
  • 教材費&入会費完全無料
  • 夏期講習&冬期講習期間中も定額通い放題
  • 夜間までの学童としての場を提供

 

当初は1ヶ月1人2万円定額制通い放題、何時間教室で勉強しても、どれだけ質問しても、どれだけ何を学んでも、ずっといるだけでもOKという状態でした。現在は、基本的なシステムは変わらず、受講料は1ヶ月1人1万円定額制、家庭環境によっては1人5000円、または、無料での対応をしています。もはや利益など無いです。

 

最低限の実費だけ受け取って、学生自身はかなり自由、午後の部活、第二の部室、第二の家、寺小屋、学生の逃げ場としての機能も果たしています。教室の運営費用は別記事でも触れますが、私自身が毎月働いて、自分の生活費、教室の運営費用をともに稼ぎ出しています。

 

教材費を毎月全額負担、私しかいない教室で、私が指導するときに当然時給なんて発生しないですし、生徒が欲すれば満腹になるのに十分な食事も、その場で作って提供します。Wi-Fi無料で使い放題、パソコンの勉強も資格取得の勉強もするので、コストから考えればこの方式では利益は一切出ないです。

 

個人的な感覚として、勉強ができるのに、生徒から受け取るお月謝で生活しているような先生に学ぼうなんて思う人がいるのだろうか、という考えがあります。先生として、学生や親に何かを示す時、まずは私自身が完全に自立してなくて色々言えるわけがありません。

 

他塾の講師にまでそれを強いる気はないですが、自分の生活費を塾運営のお金から賄っているというのは、非常に残念です。はっきり言ってダサいとも個人的には思っています。私自身、ダサかったときもあったわけですが。勉強をたくさんやったとしても、結局その勉強の知識を持ってしても、誰でも学べる知識を売って生活を成り立たせるしかできないんだな、って学生はどこか悲しく感じ、大人と、勉強に対する期待感を失うんです。

 

 

実はこの身は恩返し

実は私、大学時代に中央自動車道、大月JCTにて、レンタカーでガードレールに衝突、3回転くらいグルングルン転がる横転事故を起こしています。車は大破、全壊、回復不能なほどの事故でしたが、なぜか無傷で生還しました。私はあの時、死にました。今生きているのは、それだけでラッキーなんです。

 

大勢の先生から受け継いだ事を、奇跡的にも生きて、多くの人に伝えられているという今の状況は、私にとっての使命です。私はあの時死んで、今生きている私は二度目の人生です。これは受け継いだものを次の世代に引き継ぐために与えられたものと理解しています。この道に進んできて、だいたい万事順調なので、神様もこのやり方をせよと言っているように感じます。

 

 

全てはあるがままに。見えないですが、つながっているんです。

 

 

スポンサーリンク

Posted by Genussmittel管理者